足尾銅山を描き続ける鈴木喜美子画伯

「足尾」「足尾銅山」、ご存知ですか。

私は栃木県生まれですので、「足尾鉱毒事件」や田中正造の天皇への直訴事件は、

朧気ながら父から聞いた覚えがあります。

 

ミュゼ環 鈴木喜美子記念館《平賀ファイナンシャルサービシズ㈱》

「足尾」行ってみたいな。。。と、思いつつ

未だに果たせていません。

最近、40年に渡り「足尾銅山」を描き続けている画家がいることを新聞で知りました。

鈴木喜美子氏です。

 

ミュゼ環  鈴木喜美子記念館 》が

埼玉県草加市にあります。

私の中の「足尾」のイメージは暗く寂しい、精錬所の廃屋が残る街。

その足尾を描いた絵なのだから、美しい風景画ではないだろうな。

世界遺産の軍艦島に抱くような好奇心とノスタルジーで出かけました。

 

ミュゼ環 足尾《平賀ファイナンシャルサービシズ㈱》

ところが展示作品はどれもみな美しいのです。

赤茶けた山肌、鈍色にくすんだ廃屋、黒々とした煙突、

決して明るい色調の絵ではないのですが、とにかく美しい。

何とも言えない力が伝わります。

その絵美しさ、静かな迫力が何処からくるのかを知ることが出来ました。

「何故か足尾に呼ばれたんですね。」

「凍えそうに寒くても、描くのに夢中でしたよ。」

「描いていると、サクサクと足音が聴こえ、振り返ると誰もいない。」

「それからは、お線香をあげてから描き始めると、聞こえなくなりました。」

鳥肌ものですが、足音の主は、先生の絵を見に来ていたのですね。

きっと、足尾銅山で亡くなられた方たちは描いてくれて嬉しかったのです。

 

「来年はここにソーラーパネルができるそうで、それも描こうと思っていますよ。」

折よく、鈴木先生がいらして、沢山お話を伺うことが出来ました。

鈴木先生の足尾の絵は、全て足尾への愛から描かれたものでした。

移り行く足尾をずっと描き続けているのが鈴木喜美子画伯です。

足尾の変遷を描いた作品は貴重な資料。もはや先生は足尾の語り部です。

草加せんべいとお茶のおかわり、絵葉書までいただき極上のひと時でした。